中部インド事情:アジャンタ石窟群
撮影:2019年 3月 8日 

The Cave temples of India』,by Fergusson, James, 1808-1886; Burgess, James 。

入口近くから石窟群を望む。 入口に採光窓があるものが「Chaitiya窟」で,無いものが「Vihara窟」。
このページは,2019年3月8日にアジャンタ石窟群の見学記である。
見学したのは,第1窟,第2窟,第9窟,第10窟,第16窟,第17窟,第19窟および第26窟である。
 ☆Chaitiya窟(祠堂窟): ストゥーパ(仏舎利)あるいは仏像が安置されている。 上記の7石窟では第10窟,第19窟と第26窟が該当する。
 ☆Vihara窟(僧坊窟): 列柱で支えられた広い空間と狭い部屋に別れている。 前者は食堂その他に使用され,後者は僧侶の個室として利用された。
 ☆前期(第1期)時代: 紀元前1世紀~紀元後2世紀のサータヴァーハナ時代に掘削された。
    Chaitiya窟として第9窟と第10窟が,Vihara窟として第12窟,第13窟と第15窟の一部である。
 ☆後期(第2期)時代: 紀元後5世紀後半~6世紀後半のヴァーカータカ朝時代に掘削された。 なお,第26窟が最も新しいとされる。
 ☆第1窟に描かれている「蓮華手菩薩像」と「金剛手菩薩像」は,法隆寺金堂に描かれている菩薩像の源流ではないかとされる。
第1窟

後期のVihara窟。 壁面に極彩色の仏画が描かれているので有名。 仏陀が出家する際の様子などが描かれているという。

第1窟の正面。 釈迦坐像の右には「金剛手菩薩像図」が,左には「蓮華手菩薩像」が描かれている。

法隆寺菩薩像の源流だという説が有力な「金剛手菩薩像」。 左手に生首を持っているように見えるが,・・・。

(左)こちらも源流とされる「蓮華手菩薩像」。 残念,半分しか写っていない。 ギャラリーが多いのと時間が無いのとで,撮影はバタバタ,ダッタ。
(右)説法印を結ぶ釈迦如来。 第1窟は6世紀の後期時代に掘削されたので,大乗仏教の影響があると言われている。

絵は壁の上半分に描かれているが,退色と痛みが激しいのだ。

「マハーシャーナカ王子」が馬に乗って出家しようとしているところと,それを止めようとする王妃を描いたものだが,ピントが甘かった,・・・。 

あと何年持つのか出家する前の「マハーシャーナカ王子」のようにも思えるが,・・・。

水瓶から頭に水を掛けられているようなので,髪を洗ってもらっている「マハーシャーナカ王子」?。

天井の絵には漏水による退色や変質がみられるなぁ 。 直角に切り取られているのは何でだろうか。

天井の絵で彩色が残っている部分もある。 柱には天女たちのレリーフ。 小太りの童神?が両手を上げで梁を支えている。
第2窟

後期のVihara窟。 入口の天井と壁にも仏絵が描かれていた。

前室の天井絵。 青がきれいに残っている部分があるが,大部分は退色と染みが目立つ。

 正面奥は「説法印を結ぶ釈迦如来」。 右は多分脇侍仏だろう。

これも釈迦(仏陀)の坐像だろうか?。

天井に所々剥離がある。 千年以上も前なので,やむを得ないが,この先もちゃんと維持できるだろうか?

(左)千仏画。 後世では,曼荼羅へと進化したのかなぁ?。 (右)仏教の説話図とのことであるが,見ただけではわからないなぁ。

両手を挙げて天井を支える神や,天女などのレリーフは第1窟と同じだが,ここは漏水が激しいらしく変色と劣化が目立つ。
第9窟

前期のChaitiya窟。 明かり取りの窓が設置されている(枠は保存用)。 向かって左に第10窟の入口がある。

前期だけあって,広いドームを作ることができなかったようだ。 科学的な保存作業を行っている,らしい。
第10窟

前期のChaitiya窟。 第9窟に比べて規模が大きい。 岩盤が良かったのか,掘削技術が進歩したのか?

紀元前なのに,よくこんなにきれいなドームを掘削できたモノだ,と感心する
中心の奥には,本尊であるストゥーパ(仏舎利)が安置されている。 ここは,本堂や金堂に相当するところなのだ。

列柱には,アジャンタ石窟群の後期に描かれたという仏陀の像が残っている。
退色で消えてしまった画像もありそう。 それよりも,崩壊などで取り替えられた形跡のある柱があるようだが?

通路脇にさりげなく象さんの像が置かれているのだ。

馬蹄形の頂点と思われる場所でパノラマを撮影。 右が上流だ。 -画像をクリックで拡大-
第16窟

第16窟の入口近くにあるレリーフ。

後期のVihara窟。

 この僧院も正面奥には釈迦坐像が安置されており,他の石窟と同様ライトアップされていた。 しかし,壁画は剥落してしまっている。

説法印を結ぶ釈迦如来坐像。

天井の装飾は落ちてしまったらしいし,壁画の痛みも激しい。

ン!梁の下になにやら人形がいるゾ。

梁を支える像はみんな違っているようだ。 もっと見ていたかったなぁ。
第17窟

後期のVihara窟。 主堂の手前に廊下上に細長い前室があって,きれいな天井画が残っている。 

(左)入口手前の天井画。 (右)入口を入った前室の天井画と壁画。 左の壁画(象)を下の右図に拡大。

(左)母子から布施を受けている仏陀(釈迦)。  (右)前室の壁画である「六牙白象本生図」。

入口の壁画。 王宮に暮らす女性達。 ハーレムかもしれないなぁ。

(左)説法印を結ぶ釈迦如来結跏趺坐像。
(右)化粧する王妃。 最も保存状態の良い壁画のようだ。 ネックレスはダイヤモンドが埋め込まれている,らしい。

こう見ると,同じ高さ=水平ではないことに気づく。 岩の彫りやすさや亀裂などの影響があったのだろう。
第19窟

後期のChaitiya窟。 数多くのレリーフの仏像が安置されており,仏教がインドで最も隆盛だった時代に作られたのだ。

第19窟の正面上部。 明かり取りの構造がよくわかる。

ドーム天井と奥にはストゥーパが安置されている。
が,ストゥーパの真上のドーム屋根から,雨漏りの染みが全体に広がっている。 ひょっとしたら,雨期には傘が要るのでは無いだろうか。

ドーム屋根を支える梁にも坐像や立像の仏陀(多分)が彫られている。

列柱(円柱)の上部。 天女が二人だが,ヒンドゥ教のレリーフのようにも見えてしまう。 

第19窟の前から,石窟群の入口を見返す。
中央やや左の天窓が第10窟で,一段下の右隣が第9窟。 右端部近くにある黄色の日よけが第2窟。
第26窟

最も後に作られたというChaitiya窟。 沢山の仏像が出迎えてくれる。

当時のままを保つ天井。 ストゥーパには,無数の仏像が刻まれている。 

梁の上にも,無数の仏像が。 遍く,この世に充ち満ちている,ということを現しているようだ。

インドで最も大きな「寝釈迦」。 この造営後,まもなく仏教は廃れてしまうので,ここで見るしか無いのだ。

寝釈迦の奥の壁には,椅子に座る釈迦の坐像が沢山彫られている。
最終編集:2021年08月08日